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海外経験から、学べたこと。

座談会スタイルでつなぐ、NBUトークマガジン。今回は海外留学経験をした三人が登場。 異国の地だからこそ体験できた喜びや苦労の日々を本音で語ってもらいました。

0112016 JUNE

一歩を踏み出して海外に行った理由。

吉永 僕は中学のときからずっとラグビーをやっていて、高校生の頃からニュージーランドに留学をしてみたいと思っていました。NBUのラグビー部に入部して、監督から短期留学の話をいただいたとき、自分の可能性を広げられるチャンスだと思い決意しました。

奥本 僕は大学生活も落ち着いて、毎日もそれなりに楽しいけれど、どこか刺激がなくて…。自分自身が変わるきっかけが欲しいと思っていたとき、「トビタテ!留学JAPAN」というプロジェクトを見つけました。これを利用すれば、自分の行きたい国で、やりたいことができるチャンスだと思ったので、アメリカのサウスカロライナ州で本場のファイナンシャルプランニングを学ぼうと留学しました。

米川 僕は大学で脳波データを活用する研究をしていたので、海外で脳波計をつくっている会社を直接見学したいと考えました。せっかくなら世界の最前線の開発現場をと考え、アメリカのシリコンバレーでのインターンシップに挑戦しました。

驚きと戸惑いの中、海外の流儀を体感。

奥本 ファイナンシャルプランナーが活躍するオフィスで仕事が始まったものの、お茶汲みやコピー取りなどの簡単な仕事くらいしかできません。向こうのスタイルは、最低限の仕事は与えてくれるけど、自分から積極的にいかないと新しい課題は出してくれない。ファイナンシャルプランニングの仕事がどんなものなのかも、事務所のスタイルも何も分からないから、聞くにしても何を聞けばいいのか分からず、最初は途方に暮れてしまいました。

吉永 僕はラグビーの本場のスゴさを肌で感じましたね。ニュージーランドは日本とは違って、国全体でのラグビー熱が沸騰しているんです。練習も、日本とは少し雰囲気が違いましたね。負けず嫌いの選手が多くてタックルも激しい(笑)。ただ、みんな真剣ですが、どこか楽しんでいる感じでした。奥本さんの話と似ているのですが、練習は自分からアピールしないと入れてもらえなくて…。初日はただ突っ立っているだけで何もできなかったので、次の日から積極的にコミュニケーションを取るように気合いを入れました。

米川 僕がお世話になったのはシリコンバレーに工場がある日本の企業だったんですけど、事前に「自分が学びたいこと」を決めて来てくださいとはっきり言われていました。着いたらすぐにやりたいことをレポート用紙に書かされたのですが、担当者がそれを見て一言「どんどん実行していくように」と。必要なことはサポートしてくれるけど、基本的にやりたいことは自分でチャレンジしろというスタンスでした。たとえば「誰々に会いたい」というと、「じゃあ自分でアポ取って会えば?」という感じ(笑)。モノづくり企業ならではの“できるまでトコトンやりましょう”という雰囲気なので、時間的な縛りはなかったですね。

奥本 海外留学をするうえで、やっぱり一番苦労したのは英語ですね。正直、発音に自信がなかったのですが、喋らないわけにはいかない。恥を捨てて、しっかり強く発音することを心がけたのですが、最後まで自分の意見を積極的に伝えることはできませんでした。サウスカロライナ州は、すごくおもてなしの心がある地域なので、プライベートの誘いも含めていろいろと気をつかってもらえました。それに甘えていた部分もあったかなぁと少し後悔しています。

吉永 僕も英語力が弱く、細かい意思疎通はできませんでした。でも、練習や試合では、「ヘイ!」とか「レフト」、「ライト」のような簡単な単語でなんとかコミュニケーションを図りました。言葉もですが、向こうの人はメンタルを重要視します。ラグビーは、体をぶつけないといけないコンタクトスポーツなので、自分より体格の良い相手に立ち向かうときは、メンタルが弱かったらもう負けです。日本との違いもたくさん体感しました。ウォーミングアップもろくにしないで試合が始まるんですよ。日本では絶対にあり得ないことなので最初は戸惑いましたけど、開き直ってやるしかない!と無我夢中でぶつかっていきました。

米川 常識の違いを多く感じる事は僕もよくありました。ファッションもバラバラですし、髪の色も個性的。仕事場にもスーツではなくラフな私服で来る人も多くて、とにかく自由!お堅いルールに捕われていません。だからこそ自由な発想につながり、新しいものが生まれやすい環境だと思いました。

吉永 あっ、もうひとつ大変だったことを思い出した。「食事」にとても困りましたねぇ。ホームステイ先のお母さんの作ってくれる料理の味がどうも合わず苦労しました。練習してお腹がペコペコなんだけど、食が進まずどんどん痩せていって日本食が恋しくなりました(笑)。

米川 僕も食事は大変でした。ステーキにハンバーグ…とにかく肉のオンパレードなので脂っこいし、胃はもたれるし。日本食レストランもあったんですけど、うどん一杯がなんと1800円!とても手が出せなかったです。日本にいるときは気にしなかったけど、肉、魚、野菜とバランス良く食べることができる日本での食事環境は、とても恵まれているのだと実感しました。

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経験や学びを糧に自分のミライを拓く。

吉永 外国人選手の当たりの強さ、ボディバランスの良さ、技術…。ただ映像を見ているだけでは分からなかった色々なことを実際に肌で感じることができて良かったです。日本に帰ってきてから、すぐに練習試合に参加したのですが、以前より技術面はもちろんですけど、メンタル面でもより強くなった気がします。

奥本 僕がお世話になった会社は仕事が完全分担制で、スタッフがそれぞれの役割をこなしていく勤務スタイル。一人ひとりが社長のようなものなので、職場のみんなが自分の仕事に責任感と熱意、そして誇りを持っています。お金儲けだけがビジネスではないのだということを改めて実感できました。

米川 僕はインターンシップとして実際の仕事を体験させてもらったことで、専門分野に限定せず、広い視野を持つことの大切さに気づきました。今まで僕は情報系を中心に勉強していたので、将来の就職先は、IT系企業しか考えていませんでしたが、今は固定観念に捕われずに、何でもトライしてみようという考え方に変わってきました。まだ、ぼんやりとですけど、大学生の間にもう一度、目的をしっかりと持って海外に行って、その経験を活かして日本で働きたいと考えています。

吉永 日本に帰ってきてチーム内での発言が自然と増えましたね。相手の気持ちを尊重するところは日本人の良いところなのでそこは残しつつ、失敗したときに自分はこうしたかったということを相手に伝えられるようになりました。そうすると相手も自分の気持ちを伝えてくれるので、もっと良いプレーができるようになって雰囲気も良くなりました。海外の良さだけでなく、日本や日本人の優れたところも再認識できたと思います。

奥本 僕はもう卒業なので、これから社会で何ができるかが勝負です。ファイナンシャルプランナーであろうがIT系であろうが、業種や職種にこだわらずに、自分のやるべきことに向き合うためのベストな選択をしたいと思います。海外に行く前から「教育」、「パーソナルファイナンス」、「社会貢献」という3つのテーマに興味を持っていました。それぞれに対して、自分がこれからどう向き合うかを海外での経験を経て、さらに深く考えるようになりました。今日は、きちんと信念を持った二人と話ができてとてもうれしかったです。こんなにユニークで自分を持っている後輩がいると分かったので、卒業しても安心ですね(笑)。

吉永 僕はスポーツしかしてこなかったので、二人が経験したこと、学んだことをすごく尊敬します。これからはラグビーを頑張ることはもちろんですが、教員免許の取得や電気・電子分野でのモノづくりにも全力で挑戦します!

米川 ぜひ後輩たちにも積極的に海外でチャレンジしてほしいと思います。僕が次に海外に行くときには…「I can’t speak English.」ばかり言いたくはないので、英語をもっとマスターします(笑)。

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工学部 機械電気工学科4年
吉永 怜史Reishi Yoshinaga
(熊本県立熊本工業高校 出身)
留学先 ニュージーランド(オークランド州)

中学生の頃からラグビー一筋だった彼が、ラグビーの聖地ニュージーランドで学んだことは、相手に気持ちを伝えることの大切さ。磨きをかけたコミュニケーション力を学業や就職活動にも活かし、スポーツマンシップ溢れるエンジニアを目指す。

工学部 情報メディア学科4年
米川 修平Shuhei Yonekawa
(福岡県立中間高校 出身)
留学先 アメリカ(カリフォルニア州)

脳波に関する研究に取り組む彼が「価値観を変える圧倒的な場所に行きたかった」と、選んだのは世界を牽引する企業が集うシリコンバレー。海外での感動をパワーに、日本だけでなく世界を驚かす技術開発に挑戦する。

経営経済学部 経営経済学科(2016年3月卒業)
奥本 達彦Tatsuhiko Okumoto
(岡山市立岡山後楽館高校 出身)
留学先 アメリカ(サウスカロライナ州)

本物のファイナンシャルプランナーを目指し、世界のビジネスシーンをリードするアメリカへ。ファイナンシャルプランナーの存在意義や仕事における積極性など数多くのことを学ぶ。金融・教育・社会貢献など、さまざまな視点から将来のビジョンをグローバルに描いている。